あなたは「優しい人」ですか?
「優しい人」になりたいですか?
「優しい人」とはどんな人ですか?
わたしは自分のことを「優しい」と思ったことがあまりない。
しかし、意識して「優しい」行動を心がけているつもり。
たとえば、
職場では、後輩が困らないように、必要な資料や手順をできるだけ揃えてから仕事をお願いする。
恋人には、欲しいと言っていたものを覚えておいたり、好きそうなイベントを先に調べたりする。
でも、こういうことはほとんど気づかれない。
気づかれたとしても、「優しさ」として受け取られることはあまりない。
「優しい」と受け取ってもらえることを、どこかで期待している。
そうならないたびに、「やっぱり、わたしは優しい人ではないのかもしれない」と少し失望する。
もしかしたら、本当の優しさをもつ人はもっと優しい。
それと比べれば、わたしの優しさなんて「優しい」と呼べないのかも。
そもそも、わたしの行動は「優しい」行動だったのでしょうか?
守るべきマナー。
差し出すべき気遣い。
果たすべき義務。
ただ、それらを守っていただけだったのだろうか。
そう考えるようになってから、
わたしは自分を「優しい人」だと認識しなくなった。
優しい行動とはなんだろう?
誰かを助けたい。
困ってほしくない。
喜んでほしい。
そんな、誰かを思う気持ちから引き起こされる行動のことでしょうか?
わたしの行動が、誰かを思っての行動だと認識されなかったから、
わたしは「優しく」ない人になったの?
それとも、
わたしは「優しくない人」として振る舞ったから、
誰かを思っての行動だと認識されなかったの?
わたしは優しい人?
それは、誰が決めるの?
もしかしたら、わたしは誰かの反応から、自分を探そうとしていたのかもしれない。
わたしは、本当にただ、
守るべきマナー、差し出すべき気遣い、果たすべき義務として行動していたの?
そこには本当に、誰かへの思いが存在しなかったの?
存在していたとしたら?
誰かを思っていたのに、
どうしてわたしは、自分を「優しい人」だと認められなかったの?
わたしを「優しい人」だと受け入れてくれる人がいることを、信じきれなかったのかな?
それとも、
わたし自身が、優しい自分であることを受け入れられなかったのかな?
もし、わたしが決めてもいいなら、
わたしは自分を、どんな人と名づけるのだろうか。
その答えは、無限にあるように思える。
そして、その答えはわたしの中にある。
わたしは、この問いの答えに出会ってみたい…?
今日も、自分に問い続けている。
コメント