孤独を感じる瞬間に、あなたはどうしているの?
そのまま何事もなかったかのように、呑み込んでいるの?
孤独感を呑み込むことにはもう慣れてしまった?
わたしは誰かに連絡しようとすると
「もう夜遅いから」
「きっと今忙しいから」
「連絡したら迷惑かな」
「きっと断られてしまう」
これらの考えが浮かび、誰かと繋がることを諦めてしまう。
誰かに連絡したこともあった。
返事がなかったことがあった。
断られたことがあった。
否定されたことがあった。
大したことじゃ全然ない。
そう思っていた。
それなのに、胸の奥の方に「棘」のようなものが刺さって、つっかえて、とれない…
誰かと繋がろうとするたびに胸の奥がちくりとする。
「棘」が、わたしと誰かが繋がることを引き止める、躊躇わせる。
どうしてそう感じるのか。
誰かからの返事が届かなかった時、その原因を自分自身から見つけようとすることがある。
「相手が忙しいことを考慮しなかったから」
「相手が嫌だと思うことを言ってしまったのではないか」
「相手が理解に苦しむことを言ってしまったのではないか」
「自分が思うほど、相手は自分との関係を深いものだと思っていなかったのではないか」
相手の返事を待つ間これらの考えが浮かび上がってはわたしの頭の中を占領していく。
返事が来ないのは自分が何かをしてしまったからではないかと自分を責め始める。
返事が来る頃には、これらの可能性はわたしの中で真実へと育っていく。
せっかくもらえた返事なのに、当たり障りのない話をして連絡を切り上げる。
誰かに素直に「今、淋しいです」と伝えることができない。
わたしは誰かに「今、淋しい」と打ち明けることは相手に「あなたと繋がりを持ちたいです」と伝えることと同じように感じている。
そしてこの意思表明の裏には「あなたも同じ気持ちですか?」という問いが隠れている。
一人で返事を待つ。
あなたの返事を想像する。
あなたは同じ気持ちじゃない「理由」を探し始める。
あなたと繋がりを持つのに、わたしはそれにふさわしい人間でしょうか。
わたしはあなたと繋がる価値のある人間でしょうか。
「棘」が痛いのは誘いを断られたり、考え方を否定されたりしたからではない。
「棘」がつっかえるのは単にあなたがわたしと同じ気持ちではなかったからではない。
「棘」が残り続けるのは、自分の価値に疑いを持ち始めたからかもしれない。
誰かと繋がろうとする時、相手の返事によって自分の「価値」が明らかになるのではないか。
明らかになった自分の「価値」と向き合う。
それは未知の自分に繋がる道かもしれない。
暗く細い静かな一本道の前に1人、立たされた気持ちになったかもしれない。
しかし恐れたのはその道ではない、
恐れたのはその先に立つ自分に出会うことだったのかもしれない。
わたしはどんな自分に出会うことを恐れて誰かと繋がることを諦めたのだろうか。
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